BACK 朝のケネディーパークNEXT ダブリンのタクシー          

丘の上にラウンドタワ−が見えてきた。塔の上部に灰色の「窓」がある。彼は車のスピ−ドを緩め「着いたよ」と言って、パ−キングに駐車した。「7月〜8月にかけて、多くの観光客がここを訪れるんだ。あそこに一軒家が見えるだろう。あれはB&Bなんだよ」と指さした。100m程先の丘の上に、ぽつんと一軒の小さい家が見えている。閑散としていて、周囲を見渡しても僕たち以外に生き物の姿は無い。静かと言うよりさびしい。周辺は綺麗に整備された公園になっている。入り口の塀の上のボードに、公園の説明が書かれている。道路際一帯に崩れた灰色の石塀が地上に突き出ている。中央に廃墟となった「教会講堂」の広くて高い石壁の残骸がある。灰色の石造りの塔で煙突のようだ。ラウンドタワ−は、底辺の直径が10m以上あるが塔への入り口はない。高さ20mほどのところに、石壁をくりぬいた小さな窓が2つ、さらに上部に3つある。窓は一辺が2m程度の小さなものである。塔の中に、どのようにして入るのだろうと不思議に思った。

 教堂跡の周囲の墓地はかなり古いようだ。彼は「ついておいで」と合図をした。「この墓地は、ケルト人のもので中世初期の古いものだ」、「バイキングが攻めて来た時、尼僧達があの塔の中に立て籠ったとの説もあるんだよ」と彼。「入り口もないのに、どのように入るんですか」と尋ねた。「逸話だが、入る時はあの上の窓に梯子をかけて登るんだ。そして、全員が塔の中に入り終われば、その梯子を倒すのだろう」と説明してくれた。「あなたの祖先も、ケルトなんですか」と尋ねた。「そう思っているんです。だから僕はケルト語の保存には努力しているんです」と答えた。彼は、僕のカメラを見て「あそこからなら、塔が綺麗に取れるよ」と薦めてくれた。そこ迄行き、カメラのレンズを縦に向けた。しかし、携帯用のデジカメでは、塔が高すぎて全体が入らない。直ぐ後ろは崖でこれ以上後ろに下がることができない。仕方なく「2枚」ものにした。「結構高いんですねえ。一枚では塔全体が入りません」と僕。彼は「50mはあるだろう」と塔を見上げた。「あなたは、あそこから塔を撮ったことがあるのですか」と聞くと、「僕は良いカメラを一台持っているんだよ。とてもね・・・」と、何か意味ありげにニヤッと笑った。

 僕は「どこのカメラですか」と、さりげない口調で訪ねてみた。「ニコンだよ、君の国のカメラだとても優秀だ」と、まるで自国の製品を自慢するように誉めた。インド青年が、SONYのウオークマンをとても自慢していた事を思い出してしまった。彼は「さあ行くか。近くに美しい港が有るんだ。私の用事も兼ねているんだがね」と言いながら再び塔の上に目をやっていた。彼は僕の方を振り返りながら、「ラウンドタワ−について、フロイトは塔を男性のシンボルと想像をした。さらに、アイルランドで有名な牡蛎を女性の「シンボル」と見なした逸話があるんだよ」とニヤッと笑った。僕は「学生のとき、心理学でフロイトの説である、夢の中に於ける男性の性について、興味深く学びました」と言うと、「心理学は、僕の専門ではないが、フロイトは好きだよ」と付け加えた。「そうだ、帰りに牡蛎と言う名のパブに行こう!」と言いながら、パ−キングの方に歩き始めた。その時、今まで晴れていた空が急に曇り、低い雲が頭上を飛び始めた。

 ゴールウエイに来てから、このような急激な天気の変化にも随分慣れてきた。しかし雑草の生い茂った教会の廃墟と墓地、その陰気さはこの上ない。頭のすぐ上を、真っ黒い雲が激流のように飛んでいる。本当に速くて超低空の雲だ。暗い廃墟と墓地の中に、世界中の歴代の霊が集まっても不思議ではない。ドラキュラやフランケンシュタイン、それに、真冬には「雪女」も出てくるだろう。すっかり黒い雲に覆われてしまった。灰色の城壁や塔が黒色に変った。吹き始めた風に、草が髪を振り乱したように揺れている。日本のどこに行っても、これ程恐ろしい光景には出会ったことはない。車に戻ると、小粒の雨がフロントガラスに落ち始めた。「心配しなくても、大した雨は降らないよ」と言って私の気持ちを和らげてくれた。車は緩やかな丘を左右にカ−ブしながら、南西の方に向かった。後ろを振り返ると、すでにラウンドタワーの姿はない。「農道」が続く。すれ違う車は一台もない。20分ほど走ると、車は三叉路を右手(南西)の道に入って行った。低い雑草の生い茂る丘陵地が続いている。「平地」に降りて来たが人家はない。空が明るくなった。ラウンドタワーでは、黒い雲の下で霊達の宴会が続いているのだろうか。